お仕事、何歳まで続けますか?

こんにちは、鱗です。
年会費を払うクレジットカードを退会し、年会費無料に変更してからだいぶお金の管理というものに向き合えるようになった気がします。気のせいかもしれません。
クレジット決済やデビットカード、キャリア決済や電子決済など、たくさんのお支払方法から選べるようになって、一長一短が溢れていますね。

お財布をいくつかに分けて持ち歩いている、という考え方をしたときに。
このお店では現金でしか払えない、とか。
この店はクレジットカードのポイント還元率がいい、とか。
お財布取り出すの面倒だから電子決済で、とか。
知る人ぞ知る地元のお店は現金のみ受け付けていて、出前も対応していないから食べに行くしかないというのも、なかなか面白いなぁと思います。

それでもお財布からは無限にお金は沸いてきません。
クレジットカードは来月に持ち越しているだけなので、あれ?こんなに使ったかな?と感じる金額が請求されることもあります。
仕事を何歳まで続けるか、その後の生活費はどうするのか、と考えた時にお財布の終活も始めてみてください。
何を大事にしているのか。お金の遣い方からも見えてくると思います。

それでは、また来年お会いしましょう。よいお年を。

8020運動

こんにちは、鱗です。
最近、芋けんぴばかり食べています。
それまではじゃがりこをよく食べていたのですが、芋けんぴを久しぶりに食べたらあの噛みしめた時に広がる甘さや、うめ麦茶との相性の良さに惚れてしまい。
今日も今日とてがりがりと噛んでいます。

さて、8020運動というお話。
満80歳まで20本以上の歯を残そうとすることのようですが、ではどうすればいいのかというところです。
基本的には歯磨きの習慣化と、歯の定期健診。
そう、歯の定期健診、という大きな壁があるのです。
歯医者さんが苦手な方も多いのではないかなと思います。そしてつきまとう、診察代治療代の問題。放置した結果、虫歯や歯槽膿漏などでもっと医療費がかかると思えば、通ったほうがいいとはわかっていてもなかなか通いづらい。
歯石除去でも2回や3回などの複数回に分けて行われることがあるので、時間がかかるのも通いづらくなってしまう原因なのかなと思います。

個人的には、先代の先生は治療の時間も短くだいすきだったけど、代替わりしてしまって通いづらくなったということも多々あります。
選べるだけいいと思って色々と歯科医を訪ねてみていますが、いつまでも美味しく芋けんぴが食べられるようにがんばります。

お薬手帳から始める終末期の医療

こんにちは、鱗です。
先日、薬局に行ったときにお薬手帳が追加されました。
新しいお薬手帳はまた微妙にデザインが変わっており、一番最初のとてもシンプルなものがしっくりくるなぁと思いながら帰宅しました。

さて、自分のお薬手帳の数を数えつつ、内容の移り変わりを時々見返しています。
そうすると、あぁこの時よりは症状が落ち着いたなとか、この時期になるとこの薬が増えるなと、なんとなく自分の身体をまた一つ知ることができます。
そうしたときに、終末期の医療を考えて「尊厳死宣言公正証書」を残しておこうかなぁと思う今日この頃です。
これは自分で書くこともできますし、公証役場や行政書士などの専門家に依頼する方法があります。

終末期の医療となると、痛みや苦しさを伴うことが多いです。
そして、医療費についても考えることになります。
曾祖母のお見舞いに行ったとき、看護師さんから「お食事もうやめます?もう食べられないようですし、お金もかかりますよ」と言われたことはずっと忘れられません。
看取ってくれる家族から切り出すには言いづらい終末期の医療について、自分は延命を望むのかそれとも尊厳死を望むのか。
尊厳死宣言公正証書まではいかずとも、エンディングノートに一言あれば、その意思を尊重できると思います。
ぜひ「尊厳死宣言公正証書」のことを覚えておいてください。

24時間ゴミ捨て可能

こんにちは、鱗です。
ハロウィンの時もそうですが、クリスマスも終わっていないのに年末年始のお知らせで、季節の移り変わりというか、節目が曖昧で、時間は確かに途切れることなく流れているのだなと感じます。
そしてとても寒い。電気ケトル大活躍です、あたたかいお茶がおいしい。

さて、賃貸住宅の条件のところにゴミ捨てに関する項目があります。
例えば敷地内にゴミ捨て場があるとか、24時間ゴミ捨て可能とか。
断捨離がお好きな方はいつでもゴミ捨てができるほうが便利ですし、その条件は特に気にならなければ選べる物件の選択肢が増えます。
順番にゴミ捨て場所の清掃を行う地域もありますし、お家の終活をされる際にはそのあたりも気にかけてみてください。

そういえば、年末年始のお知らせとして年末最後のゴミ捨ての日と、年始最初のゴミ捨ての日の案内がポストに入っていました。
大掃除は31日では遅いようです。

本と服

こんにちは、鱗です。
近々、第三回断捨離を執り行います。
なんて仰々しく言ってみたくなるくらい、冷蔵庫の中をすっきりとさせたいです。
もっと減らしていきたいです。

さて、終活をしていくなかで、鱗にとって困るものは服になります。
紙の本が好きなので、どうしても電子書籍ではなく本を買うのですが、それは送料無料で買取を行っている業者も多く、とても助かっています。
何より、値段がつかないときでもそのまま古紙としてリサイクルしてくれるので、本をまとめて送るだけでいいということがありがたいなと思います。

では、服はというと、値段がつかないものは返送されたり、ブランド物のみ買取可能だったりと、身に着けるものなので制限が多いのは仕方がないのですが、もっとお洋服のリサイクルや買取が身近にならないかなぁと思います。
送料を払っても返送されてしまう可能性がある、というのはなかなか手が出しづらいです。
値段がつかないものでも買取してくれるけれど、持ち込みのみ対応だったりと、お洋服の条件はなかなか難しいですね。

本と違って、お洋服のリサイクルした次の姿がなかなか思い浮かばないのですが、もっとお洋服のリサイクルが広くなってくれるとうれしいなと思う今日この頃です。


第2回断捨離報告

こんにちは、鱗です。
断捨離報告だけ別にしようかと思い始めましたが、まだしません。
きっと特別になったら飽きてしまうのでね。
息をするように断捨離していきましょ。

今回はテーブルの上です。
いわゆる、手を伸ばせば届く範囲、というところ。
ペンって寝かせると10cm以上場所を使うけれど、立てるとそれの半分以下ですよね。
起きて半畳寝て一畳、という言葉を思い出して笑ってしまいました。
全然意味は違うのにね。

そうして左右にきっぱりと仕分けて、真ん中だけを空けています。
この真ん中を作り出すだけで、3時間かかるとは。いかに断捨離下手かというお話。
細かなものが多すぎるのも問題ですが、レシートの裏の走り書きも問題です。
ただの走り書きなのか、何かしなければいけなかったのかなと思い出すのも一苦労です。
今日はテーブルの上なので、レシートやメモの紙系が多かったです。
ペンの替え芯が2本出てきたのは頭を抱えましたが、すっきりとしたのでよしとします。
ポスティング広告のように、その時に捨てる、ということが、断捨離というか今の状態を維持するには意外と大事なのかもしれません。

火の用心

こんにちは、鱗です。
お茶と重なると匂いが混ざるのですが、お茶を飲まないときにはお香を焚きます。
白檀が多いのですが、時々華やかな白粉のような香りも混ぜます。

さて、昨日も少しお話した火のお話。
火事の原因がアロマキャンドルだった、というニュースを見たのですが。
それはこれからの季節、誰にでも同じようなことが起きるだろうなと思っています。
お香もそうですが、火が消えた後もしばらく熱は残っています。
この熱をそのままにして例えばゴミ箱に入れたとします。そこから火が移ることも考えられるので、鱗は灰になったお香はいったん灰皿に移します。
そうして一晩おいてから捨てます。

以前、花火のように持ち手のついているお香を焚いていた時のお話。
もういいかなと思い、残った持ち手の部分と灰を新聞紙に包んだところ、新聞紙が焦げてぞっとしました。煙ももう立たなくなっていたのに、熱はひっそりと残っていたのです。
それ以来、お線香のような持ち手のついていないお香を選んでいますが、新聞紙が焦げただけでよかったなと、思い出すだけでもぞっとします。

コンセントからも出火したりと、どこから火がつくかわからない世の中です。
ガスコンロをやめたからといっても安心できないなぁと、落としどころを探しています。

忘れがちなこと

こんにちは、鱗です。
寒い日が続いていますね、あたたかいお茶を淹れる回数が増えました。
モリンガ茶、鱗は結構すきな味でした。

さて、お茶を淹れるときにお湯を沸かすのですが。
以前はコンロにやかんをのせて、火をつけて沸かしていました。
ですがちょっとこわいな、と思い始めて電気ケトルを使い始めました。
そして最近よく起きるのが「電気ケトルの電源入れ忘れ」です。
そろそろ沸騰する頃かな?と思って、見ると電源がオフのままということが多くて、おや?と。一回、二回ではないのでちょっと困ったなぁと思っています。

終の棲家を探しているのですが、そこにはガスコンロは置かないようと思います。
IHクッキングヒーターで、時間や温度で自動でオフになってくれると助かりますね。
電気ケトルも、沸騰すると自動で電源オフになる便利なものが多く。
家に対しての終活、も始めなければなぁと思う今日この頃です。

ポストに届く終活

こんにちは、鱗です。
地域によるのかもしれませんが、市報というか地域誌のようなものがポストに入っていることがあります。ガジュマルの土替えや剪定のときに使えて便利です。

さて、その紙に書かれている記事に気になる見出しがありまして。
どうやら「終活やってますか?」というようなことが書いてありました。
高齢化社会だから、エンディングノートとは、終わりに向けて、とよく見る内容だったのですが、地域でもそういうことに注力するほど重要視されているのだなぁと。
等しく最期の時は来ます。なので記事になるのもわかるのですが、その時を意識して過ごす人はどれだけいるのだろうかとか。終わることを考えて今を生きているのか、とか。

鱗は鱗ですきに終活をしていますが、毎日ではありません。
ガジュマルのことを考えたり、今日は寒いから布団から出たくないなぁとか、そういうことのほうが多いくらいです。
水面に波紋を広げるのは簡単ですが、それを鎮めるのはとても難しいのです。
一番大切なのは、できるときにやる。無理はしない。
終活をして鬱になってしまうなんて、とてもかなしく、苦しいではありませんか。

その記事はガジュマルに見せたくなく、触れさせたくなかったのでどこかにやりました。
そういう日もあります。

また、のはじまり

こんにちは、鱗です。
お呼ばれしてお出掛けしてきたのですが、帰り際に「また」と言ってしまえる時間が過ごせるというのは、とてもいいことだなと思います。
特にエンディングノートを書き換えることはなくとも、いい時間だったなと思えるだけで満たされます。

最近はご挨拶をする機会が増えました。
また、に繋がるかはわかりませんが、とりあえずお話をして少しだけ同じ時間を過ごしてそれぞれの時間に戻っていきます。いつか思い出してくれたら声がかかるでしょう。
エンディングノートに、知人や、葬儀に呼ばなくとも知らせてほしいくらいには親しい相手を書き出して、そこに人が増えることは悲しいことではないと思うのです。
大切なものが増えることは悲しいですか?

終活をしてエンディングノートを見ていると、終わりだけを見てしまいます。
でも終わり方を求めているだけで、今すぐ終われないことのほうがとても多いと思います。
雑だとしても終わらせたくなるかもしれませんが、どうか大切なものは最後まで大切にしてください。