循環するということ

こんにちは、鱗です。
本棚から本が溢れ始めたので、そろそろ残す本と入れ替える本を選ぼうかなぁと。
思うのですが、手に取ると読み返して一日がおわるよくあるお話。

例えば、生き物を飼っているとその子を迎えたり見送ったり、また次の出会いがあったりと、いろいろな循環を感じます。
鱗はそれが本棚で、まぁ、あまり循環しません。いつ見てもどこにどの本があって、増えた本は本棚ではないところだったりで、「本棚」というものの中身が循環していないなぁと。
唯一、植物たちは循環しているなと思います。
出会いと、日々の成長と、じわりと葉の色が変色する恐怖と、見送り。
今年は本棚も、植物も、鱗も循環できればいいなぁと思います。

4月は出会いと別れの季節と言いますが、それはつまり循環で。
5月病の循環も、6月の梅雨の気怠い循環も、7月も8月も、いつだって巡り巡って、自分の血肉となるのだなぁと、初めて買った谷崎潤一郎の本はまた本棚に戻ります。
あまりによれたので同じ本をもう一冊買ったのですが、たぶんこの本だけは循環しません。