また、のはじまり

こんにちは、鱗です。
お呼ばれしてお出掛けしてきたのですが、帰り際に「また」と言ってしまえる時間が過ごせるというのは、とてもいいことだなと思います。
特にエンディングノートを書き換えることはなくとも、いい時間だったなと思えるだけで満たされます。

最近はご挨拶をする機会が増えました。
また、に繋がるかはわかりませんが、とりあえずお話をして少しだけ同じ時間を過ごしてそれぞれの時間に戻っていきます。いつか思い出してくれたら声がかかるでしょう。
エンディングノートに、知人や、葬儀に呼ばなくとも知らせてほしいくらいには親しい相手を書き出して、そこに人が増えることは悲しいことではないと思うのです。
大切なものが増えることは悲しいですか?

終活をしてエンディングノートを見ていると、終わりだけを見てしまいます。
でも終わり方を求めているだけで、今すぐ終われないことのほうがとても多いと思います。
雑だとしても終わらせたくなるかもしれませんが、どうか大切なものは最後まで大切にしてください。